高校生の選手権九州大会、そして秋の審査(残すは延岡・南郷と宮崎Ⅱですね)、お疲れ様でした。
またしても。
11月の九州大会で、個人戦4位にまで駆け上がったのは弓神会で練習した生徒さんでした。
おめでとうございます!!!
彼は高校から弓道を始めたのですが、やはり努力を惜しまないタイプです。個人でも出来ることをきちんと考えて努力を欠かしません。初期の頃の頼りない射(そりゃ最初は誰でもそうだ)が、今や見違えるほどに大きく堂々として、凛とした佇まいさえ感じさせています。
努力は必ず実るわけではありませんが、必ず”どこか”で実を結びます。彼はそれがストレートに現れている非常に素晴らしいパターンです。
そして、先日の練習の時、周囲が「体配を練習したい」と言う中で、彼だけは「僕は矢数をかけたいです」とはっきり伝えました。九州大会を前に自分の目標をしっかり見定めいるからこその決意、発言です。
周囲の反応はもちろん、「うん、いいね」です。人に合わせる必要はないんです。それが弓神会の在り方なんですね。人と違うことを選んでも理解してそれを尊重できる、その空気が弓神会にはあります。
世の中間違った「忖度」が流行っているようですが、ここには間違った忖度はないようです。
必要な協調はあるけれど同調圧力もなく、それぞれの成長でできる限りの努力をしていこうと、それぞれ学年学校を超えて集まってきたことで自然に生まれているように思われます。
彼もまた、毎回練習に来ているわけではないのですが、それもまた理由があってのこと。怠けているわけではないことは誰しもが知っているので、久しぶりに顔を見せても当たり前のようにいつもいるように自然に仲間が接しているのを見ると、大人の方が下らないことに囚われているものだと反省させられますね。
弓神会というところは枠も垣根も柵もないので出入り自由ですからね、そんなものにとらわれるような子達はいないですね。
なーんて、努力が実っていく様を見ていると嬉しくて嬉しくて、自慢したくて書いていますが(自慢させてください(笑))、努力は彼らのもの。全力で彼らを賞賛したいです。
彼が「僕は弓神会」と思ってくれているかはまた別問題ですが(笑)
自慢ついでにもう一つ。
弓神会の中学生参段合格も出ました。これまたおめでとう!!!!!
こちらも弓道が好きで好きで、変態の称号を与えられるほどに弓道が好きな生徒です。
受験生なのでなかなか時間はないのですが、空いている時間に質の高い練習をしながら頑張ってきました。
高校生でも難しいと言われる参段を中学生が取るなんて、夢のまた夢。もちろんそれは理解しています。ですが、不可能でも、その緊張感の中どれほど力を発揮できるのか、自分を試したくて審査と言う名の勉強をするつもりで受審しています。それは、「無理だ」と言われる段位を目指している弓神会の生徒は全員同じ気持ちです。
「受けることさえ不可能」と言われたなら泣く泣く諦めるでしょうが、受けることだけでも許可されているならその最高に難しい場で自分を試したい生徒ばかりなのです。
もちろん合格すれば嬉しいに決まっていますが、それよりも何よりも、そういう有り得ない緊張の中に身を置くという勉強の場を手に出来るという喜びもとてつもなく大きなものです。何事も経験。謙虚に自分に向き合うために、受審のドアを開けてくださっていることには感謝しかありません。
参段を合格した彼女も、「早く受かりたい」から受審しているのではなく、一生懸命やってきたことを見てほしくて、自分の歩んできた道を確認したくて、そして受けたことがたまたま合格に結びついているだけです。
上には上が山ほどいるし、それでもペーペーなのも重々承知です。
謙虚さも忘れずに誇りを持って、真摯に弓道に向き合っていこうと決意する場が審査です。
親も勘違いしないように常に自分を戒めながら、努力する子ども達を誇りに思いながら、日々子ども達の努力に寄り添っています。
弓神会は、上手くなる場ではないです。上達を目指してはいるけれど、ここで学びながら自分の可能性や努力の在り方など、各々の「種」を見つけていくところなのではないかと感じます。種を見つけたら、それをどこに植えるか、どんな肥料をやっていつ水をあげるか、自分でも工夫しながら仲間にも教えてもらいながら、みんなで育っている場になっていると思います。
弓道をしに来ているけれど、弓道を通して学ぶことはそれぞれです。
その多様性も含めて、部活や特定団体とは一味も二味も違う、本当にこれまでに例のない集まりだなぁとしみじみと思います。
語弊はあるかもしれませんがイメージするなら。指導者や見守ってくれている大人達に恵まれながら、安全管理に配慮したストリートバスケのような感じでしょうか。
また「種」が見つかり、そしてまた芽吹くことを・・・(o^―^o)
いつも見守ってくださっている皆様へ。
いろんな配慮には気を遣いますが、小さなことでも的確に指摘してくださる皆様がいてくださるので何とか改善しながらやってこれています。ご協力くださる方々にも常に感謝しています。ありがとうございます。恩返しはそれぞれの生徒の成長でお返ししていきたいと思います。どうぞこれからも、厳しいご指摘などもいただきながら、あたたかく見守っていただけたらと思います。何分 弓道を好きな中高生が考えて自分達で動かしているものですから、いろいろと頼りない面がありますが、どうぞよろしくお願い致します。
※いつもいつも長くてすみませんm(__)m
弓神会の練習に参加している高校生女子が、九州大会で12射皆中を出しました。
記録のある限りですが、過去7年に於いて、女子で皆中を出しているのは九州大会で4人、宮崎では2人目です。
なんという頼もしいこと!!!
(個人的には「弓神会ヤベェ!」が感想です、はいw)
それでも彼女は中学からこれまでずっと悩み続けて、審査でも苦労しながらやっとこの半年で努力の成果が表に現れてきたという感じです。
これを言うと怒られるのですが、「寡黙に努力する様が、土中でじっと成虫になるのを待ち続けたセミのよう」(ごめんね)だと、私は思ってしまう訳です。
努力し続けていれば、どこかで良いタイミングで花を咲かせる日が来ます。良いタイミングで何かに気付かせてくれる人物とも出会います。それは師匠かもしれません。先輩かも友達かもしれません。
でも言えることは、努力を諦めないことです。
彼女は文句を言ったり誰かをこき下ろしたりしたことはありません。
努力を諦めたこともありません。
こうして実力を発揮し始めた今、先輩や友達にいばったり天狗になったりもしていません。
それこそが、努力を実力に換えて来た秘訣ではないかと感じます。
審査の後、悔しさに涙が止まらなかった彼女。誰かが合格した様子に、それでも目を赤くしながらも心からおめでとうと言えていた彼女。
今回の九州大会ではとても楽しんで弓を引けたのではないかと思うと、こちらまで嬉しくなりますね。
次の練習日に会えるのが楽しみです。
あ、九州大会に出場した高校生、まだいましたね。こちらは常連校(と言っていいよね?)ではあるので特に触れずにおきましょうw
両名とも、お疲れ様でした(o^―^o)
春の審査も残すところ、5/14と6/11になりましたね。
弓神会の中高校生にも結果が出始めております。
最高段位の四段を受けた高2男子は
「上手い、綺麗。でも(何かが)足りない」
「気持ちは四段!(をあげているが)でももう少し頑張れ」
など、最高の褒め言葉を各審査員の先生方にいただきながら、惜しい結果となりました。
また同じく高2男子・女子もそれぞれ参段を合格しました。
中学生は3年生が弐段合格(女子)、同じく3年が初段合格(男子)、と確実にステップアップ。
中高生の集まりですけど、意外と弓神会にはツワモノが揃ってるんですよ(^^)v
手前味噌になりますが、弓神会に集まって来る子達は、誰かを蹴落とすことで自分を高めるような残念な子達ではなく、目標を持って上を見て前を見て自分と闘う子達ばかりです。昨日の自分より一歩でも前に進みたい、上手くなりたいと本気で思っている子達。だから誰かが大会で活躍したり昇段したりすると一緒に心から喜んで「自分もそれを超えよう!!」と努力を始める子ばかりです。
「あんなのたいしたことない」だとか「ヨソで練習してるんだから上手いのは当たり前」とか、自分が出来ない言い訳をする子は一人もいない というのが弓神会に参加する子達の自慢ですね。「陰口叩くのはみっともない、恥ずかしい行為だ」と認識しているようです。
分からないことがあるとすぐに先生のところに行って質問攻め(笑) そして次に会う時は指摘されたところを一生懸命修正してきた努力の跡もある。聞く→教わる→努力する→さらに聞く・・・の繰り返しです。自主練習とは言っていますが、毎回のコンセプトを子ども自身で考え「これこれこういう時期なので、こんな視点で僕らを見てください」とか、ちゃんと先生達に話してるんですよね。
もちろん休憩時間で話すのも弓道のことばかり。
比較するのは自分より上手い人。「自分より下手な人や自分より初心者と比べても上には行けない」、そんな考えでいる彼ら。けして初心者をバカにすることもありません。どうすればみんなが「上がって」行けるか。それはいずれ自分達の弓道環境に跳ね返ってくるんだから、周りも一緒に上達していくことが大事。そう言います。
初心者に抜かされるようなことがあれば、また努力して抜き返せばいいだけのこと。今の自分を超えていくことを意識して遥か遠くの目標を追いかけている。そんな彼らです。
だからこそ全員が上手くなっていくんでしょうね。
一度行ってみたいという生徒もいるとちらほら耳にしますが、見学だけしてやめても大丈夫ですよ~。無理な勧誘はしませんから(会じゃないから)、どうぞご自由に(o^―^o)
今日は学生の自主練習集団(弓神会)に関わるお話です。
最近いろんな人とお話をさせていただく機会が多くなり、つい先日は高校生には馴染みの深い先生ともお話をする機会がありました。さすがに情報通な先生、弓神会(弓道びぎなー)のこともすでにご存知でした。大変恐縮しながら聞いておりましたら、「なかなか面白いことを始めましたね」と。
「部活を辞めてしまった子や思うように機能できない部活の話なども耳にするので、そういった子達の今後を常々案じていました。読めば何のしがらみもない上に、会でないから自由な出入りも出来る。これは受け皿になってくれそうだし他にもいろいろ出来そうだと、良いことだと思ってました。しかもそれが学生からの発案・要望というところも良いですね」(※要約)
というようなことを言ってくださいました。
そうなんです!バリアフリーなんです!
ちゃんと活用性や展望を見出してくださる方がいた!!!
嬉しい!ウレシイ!うれしい~~~(*´∇`*)
いろんな人に教わって違いを発見しながら 違う角度から見て初めて分かる・・ってことにも気付く。これ、なかなか貴重な体験なんですよね。特に学生にとっては、他から教わる機会ってないものですから。
それまで理解できなかったことが別の上段者の教えで突然目覚めて「あ!あの時言われたことと今言われたことって同じじゃん!!」って気付いた時のスッキリ感てのも楽しいもんですよ。(←お前が言うなって?)
学生側だっていろんな学校や年齢が交流することで好敵手(ライバル)や目標に出会えることもあるんです。
でも相性もありますからね。来るも自由、去るも自由。去った後で復帰するのも自由。
それでいいんじゃないでしょうか。
来たいと思う希望を潰す必要もないし、去るには去るだけの理由もあるでしょう。復帰したなら喜んで迎えればいい。ただそれだけです。それら全部経験済みなヤツらばっかりですからね。 門はいつでも開いてます(o^―^o)
なんて、主催みたいに書いてますけどね。こちらは裏方であり学生の要望を形にするためのツカイッパシリのような存在なんです。私がいただく言葉ではありません。この有難いお言葉はここを通じて学生達に伝えようと思います。(ええ、前回の練習時に伝え損ねただけですw)
もう一つご報告。
実は宮崎市外の高校生達から交流練習の要望連絡もいただいています。
前講習、審査、期末試験、高校総体、中体連など、日程調整が驚くほど難しく、実現は少し先になってしまいそうなのですが、そんな交流もアリですよね。
いろんな意味で可能性の広がるとても良いチャンスだと思うので、必ず実現したいと考えています。いや、実現はさせます。出来ない理由を並べて諦める子達ではないので、いつでも「どうやったら可能になるか」を探っている者ばかりです。いつになるか楽しみですね。
若いっていいなぁ
春ですね。
今日の新聞でも異動発表を目にして思うことがありました。
昔、「どうせこいつらは一生懸命教えても3年経てばいなくなるんですよ」と言った男性教員。「この人は種を植えて芽が出てそこから広がっていく世界を知らないんだ」と思いました。たった3年間だからこそ懸命に伝えるものがあるものを・・。その可能性を放棄しているならば「指導者・教育者」としてなんて未熟なんだろうと非常にがっかりしたことがあります。その後も生徒第一ではなかったので変われない人なのだろうと感じていました。
そして今年。梅の咲く中でふと聞いた「やっと(今の部活指導で生徒が)上手くなってきたと思ったらまた最初からやり直し(初心者が入学してくる)。もぉホント大変だよぉ~」なんて言いながら、顔は笑顔でとても楽しそうに話していた外部指導の先生。弓道が楽しくて生徒に上手くなってほしくて楽しさを伝えたくて、時間やいろんなものを犠牲にしながらいつも寄り添ってくれていた方です。
両者のなんと違うこと。
どうせいなくなるんだからといつでも見捨てるような体で生徒に当たる指導者(とも呼びたくない)人と、外部でありながら限られた時間でどう向き合えるか考えつつその後の人生に弓道を持ち続けてほしいと願う指導者・・。おのずと生徒に対する普段の姿勢も変わります。
卒業してもいつまでも声を掛けてくださり、どこかで聞き及んだ情報があれば必ず話題にしてくださり、「頑張ってるね」と言葉をくれる。いつまでも気にかけていてくださることで子ども達もまたそれが励みになるんですよね。
「対等な仲間にもいろんなタイプがいる」ことを受け入れながら成長しているように、指導者にもいろんなタイプがいて相性もあるんだということを知り、変革を恐れることのないよう進んでほしいものです。それが出会いと別れです。今年の春は前向きな季節になることを期待しています。
おかげさまで、素晴らしい環境にある中で 指導者陣にも恵まれ、一生弓道を続けていこうと決心するほどになっているわけですが(子どもが)、宮崎市体育館の地下道場でこんなものを見つけました。
弓を引かない私が道場入口まで行くこともそうはないので気付かなかったのですが、読んでみて全てがなるほどと思ったので写メってきました。
以下、全文です。
第一条 師を選ぶこと
まず第一に、正しい射術を身につけ、正しい心を持った人を師とすべし。選択を誤ると、長年修業しても結果卑しい弓引きで終わる。
第二条 素直な気持ちで弓を持つこと
我意は捨てること。注意されたことを正さない人は前に進めない。
第三条 人まねをせぬこと
弓術は、門人の体格、進みによって教えが変わる。他人の射を見て自分の射を直すのは進んだ人のやることで、進みがその域に達していない人がやると、教習の順序が狂い不成功の因となる。「知」が「行」に先立つ人は、一番の困りもの。
第四条 一手百手
粗末な二百射は、丁寧な二射に劣る。正しい射をすれば、結果当たるようになる。むやみに工夫することを考えてはいけない。時間の無駄である。
第五条 増長せぬこと
弓術ほど増長しやすいものはない。自分のみすぼらしさをはっきり見ることのできる境地に達するのに十年、十五年、一生解らぬ人もいる。真の自信を得るには、自己を知り、謙虚に修養することを切望する。
第六条 絶えず稽古すること
初めに飽きる人、中頃で飽きる人、上達してから飽きる人、飽き方は様々あるが、弓道は修養道である。修養する気持ちがあれば、一生飽きることはない。
第一条に関してだけ書いてみます。
師を選ぶこと、実感してます。
どんなに弓道が上手くても、人柄の深さみたいなものがなければ、ついていこうと思うには限界が来るのではないでしょうか。
「師」である以上、「好き嫌い」などという感情で「弟子」を判断したりえり好みするのは品位に欠けます。(学校でもよく見たでしょ?差別する先生とか・・)
弓術を教えるにあたっても、弟子としても感情に左右される師のもとで教わりたくはありません。
弓には人間性が出ると聞きます。よーく見ていると、何だかよく分からないけどあの人の射には惹きつけられる、とか、あの人の射は凛とした佇まいがあるけれど孤独だ、とか、見えてくるものがあります。そうやってたくさん観察して、射からも人間性を掴んで、おこがましくもそこから師を選び、その上で、やはり師弟は「相性」かなと思います。
もしかしたら、成長した時に次のステップアップのための「師なる御方」を見つけ、新しい”弓道カップル”(ブログ③参照)になるかもしれません。幸い、うちの師匠達は「いろんな人の素晴らしいところをたくさん見なさい学びなさい」と言ってくださる方達なので、各方面への学びの旅を全く制限せずにいてくださいます。「あの人のここは素晴らしい」「この人のこんなとこがすごいとこ」・・と、たくさん紹介もしてくださるので、「弓道界のスゴイ人達」についても勉強させてもらっています。また、師匠達自身がお互いを認め尊敬し合っている姿こそ大きな学びにもなっています。「仲間」とはこうあるべきかと刺激をもらっています。
他の人の素晴らしさを認める人柄。弟子が失敗したりヘナチョコでもけなしたりせずに歩調を合わせて待ってくれるところ。何かを始める時に自分一人の邪(よこしま)な考えではなく 宮崎の弓道界全体についていつも考えていること。どんな大会でも審査でも、関わった子がいるところには出来る限りほぼ顔を出して応援に来てくれること。各々の骨格や体格、レベルに合わせて「個」をきちんと見た指導をしてくれるところ。「次も頑張ろう」と思わせてくれながら、目指すところは遥か高く容赦なく(笑)、その中で弓道の楽しさを見せ続けてくれています。
呼んだわけでもないのに人が集まってくる点でも、その人柄を含め・・だと思っています。
うちの「師」(それも一人じゃない(^^)v)も、間違いなく選べたぞ!と自負してます(笑)
水曜道場がリニューアルオープンしましたね。
今、水曜道場に少しだけ取り入れてもらえているアイデアは、中学生で初心者だったあの頃の不安と戸惑いからきたものです。
当時も今も、何度も聞いた水曜道場のコンセプトは
「会とか派閥とかそういう枠組みにいないと教えてもらえないようなすごい先生からも教えてもらえる自由な練習場。自分自身での鍛錬の場にしてもいいし、仲間と研究しあったりするのもOK。ただし、こちらからは教えにいかない(無理強いになるから)。教えてほしい時に、枠組みに遠慮しないで聞ける場でありたい。それがいずれは「この先生に教えてほしいから先生の会に入会したい」にもつながるだろうし、教わったことを部活に持ち帰って部員に伝えるという、技術や情報収集の場として活用してくれたらいい。大人だって教えてほしいし、もちろん教えてもあげたい。大人も子どももないんですよ。聞いちゃいけない、教えちゃいけないなんて間違った情報も出てるようですが、真逆です。聞かれたらどんどん教えましょう、誰にでも差別なく教えましょうってことですよ。そして、弓道が好きで、うまくなりたいということ以外は自由です。」
この「聞いちゃいけない」「教えちゃいけない」の誤情報は開設当時も今も信じている人がまだいるようです。支部の理事の方もそれを聞いて
「えええっっっ!!??なんでそんなこと!?違いますよ!!逆ですよ!!教えあいましょう、研究しあいましょう、大人も子どもも関係なく、求められたらお手伝いしましょう、ですよ??? なんでそんな間違った情報になってしまったんだろう???」
と困惑しておられました。
おそらく「こちらからは教えてはいけない」の「こちらからは」の部分が抜け落ちて伝わったんでしょうね。聞いてもいないのに教える行為を迷惑とする人もあるから、聞かれて初めて対応する方針でいきましょう、がいつの間にか一部の人には「教えてはいけない、聞いてもいけない」に変わっていたようです。どちらのコンセプトも聞いていた当時の私たちは非常に困惑したのを覚えています。責任者が誰かもわからないので確認できないまま、いろんな情報に戸惑うばかりでした。
ですが、情報がどうのこうのよりも、自分たちの目標「上手くなりたい、そのためには何が必要か」をモットーに突き進んでいたし、中学生だからこその「何でもやってみて失敗しながら進んでみよう」精神があったので、はっきりしない情報に振り回されることはあまりありませんでした。
それに、この「こちらからは教えない」「聞かれたら誰にでも教える」システム。
「教えてもらう側(生徒)」が「教える側(先生)」を選べるなんて、そんな恐れ多くも有難いシステム、滅多にない機会だしものすごく画期的だと思いました。「生徒」側も「今の自分にこそ必要な先生」をしっかり見極める目が必要になります。適当にダラダラやってたらいつまでも「先生」には出会えないわけです。同時に、教える側も安穏とはしていられないってことになりますね。真剣に向かってくる「生徒」に対していい加減な気持ちではいられないし、これはもう精進するしかない、というところでしょうか。こうして先生と生徒の相思相愛「弓道カップル」が出来ていくんですね♡
・・・いや、大変失礼いたしましたm(__)m
えー、気を取り直しまして・・・(^^;
最終的に水曜道場の目標としては、「宮崎の弓道人口を増やすことに繋がると嬉しい」というのも分かりました。個人的な思惑ではなく、弓道人全体の利益として成り立つ場の提供が目標だと。
それならまず人が来てくれることからスタートです。人が集まらないことには始まりません。
門戸は広く、中高生でも分かりやすい水曜道場に。
初心者が戸惑うことない安心を・・。誤情報を訂正・確認してくれるそれなりの責任者があること。
例えば県外から引っ越してきた人が気軽に引ける場所としてすぐに案内できる道場を・・
いろんな人から弓道にまつわる情報が得られる場所に・・・
とにかく、今後の宮崎の弓道界にプラスと思われることはやってみようという支部長と副支部長のバックアップのもと、水曜道場再生を図っているのです。
これからもいろんな意見が得られるように、と、聞く姿勢を分かりやすく示してくれているのも大きく進歩している点だと思います。
主催も場内責任者も相談員も、すべて分かりやすくなりました。初心者にとっても水曜道場未経験の人にとっても、少しは壁が低くなったような気がします。
他に何人も相談員としていつでも協力してくれるようになっているようです。
さて、そんな中、
現状5枚つづりの回数券にもう少しメリットを・・と、
例えば10枚つづりにあと1枚足すとか、20枚つづりに3枚おまけとか、それも誰でも誘えるように譲渡可とか、そんなちょっとお得感が出るものが欲しいので検討してくださるよう陳情してみました。
果たしてどんな結果になるかな・・?
前置き。今回も長いです、はい(;'∀')
我が子が水曜道場のことを知ったのは中2の6月でした。
部活の終わりの挨拶の時に顧問から案内を受けたのが最初です。
「水曜日に市の体育館で自由に練習が出来る場があるそうです」
情報はほぼこれだけ。
主旨も分からず、どんな人が来るのかも分からず、指導者がいるのか、どんなルールで練習するのか、全く未知の世界でした。
「お母さん、行ってみたい!」
「え・・何それ??」
「もっと練習して上手くなりたいからとにかく行ってみたい!!!」
「誰と一緒に行くの?」
「分からない。でも一人でも行ってみたい」
「分かった。得るものないなと思ったら行くのやめればいいしね」
こうして、2014年6月18日、水曜道場通いのスタートです。
行ってみて戸惑ったこと。
大人ばっか!! 孤独すぎる~(´;ω;`)
ひょえ~、皆さん顔馴染みばっかり? うわ~、どこにいればいいんだろ?
えーと、どのタイミングで道場に行けばいいのかな?勝手に入っていいのかな?
どのタイミングで射場に入っていいの? 射場入りのルールはあるの?
教えてほしいけど、聞いていいのかな・・
誰にだったら聞いても大丈夫なんだろうか?
出来ればいろんな人に聞いてみたい
相手がどんな人か知りたい・・・でも何段とか失礼で聞けない・・・
などなど・・・
観覧席で待つ私も本当に心細かったのを覚えています。
たまに一緒に行く仲間もあったけれど、毎回行くのは我が子一人。
誰も声を掛けてくれることもなく、心が折れそうになったりもしたようです。
「誰も知ってる人がいなくてつまらない・・・」
「でもこれでやめたら あ~やっぱり冷やかしか~ って思われるよ? 本気で上手くなりたくて来てることを分かってもらうまで、一人でも頑張れば? そしたらこれからやってくる友達とか後輩にも道が開けるじゃん」
「そっか・・・うん、やってみるわ!」
大人にとっては何の気なしの水曜道場も、中学生にとっては非常に高い壁だったのです。中学生なんてほとんどいませんでしたし。
7月、台風もあったりして毎週は通えませんでした。
水曜道場って大人が楽しむための場所? 子どもにはそぐわない場所? 意味あるのかな・・
ちょっと親としても悩み始めていました。だけど、本人が頑張りたいと思う気持ちを大事にしてやりたい。私が折れたらこの子の道も途絶えるんだよな・・、で気持ちを奮い立たせてました。
8月、夏休み。仲間にも何度も声を掛け、たまに一緒に通えるようになりました。ちょっとは楽しくなっていました。
ここまで2か月、相変わらず大人からはほぼ誰からも声を掛けてもらえず。全員が怖い(笑)
今ではおちゃめな人だと知ってる人でも、当時は「これ絶対ウザがられてる、威嚇されてる・・」としか見えてませんでしたm(__)m
きっと「こいつ本気かな、冷やかしかな」って様子をみられていたのだと思います。
そして、今だから言うけど・・で聞くのは「外部指導もいるわけだし、水曜道場に来てるからって子どもにウカツに教えられないよね」と。個人的に思っていたのは、いろんな人から教わることで開眼することもあるし、相性だってわかる(教える教えられるの相互関係には相性があり、それはとても大切だと経験上感じています)はず。そのチャンスのために水曜道場に来ていた面もあるので、本当はもっと自分からガンガン聞きに行くべきだったかな・・・と後悔。
9月、あるきっかけで今師事している方に紹介され、やっと教えてもらえるようになりました。
うちの子の射を最初に見た感想は「苦笑い」だったようです。
しかし、そこでやっと「教えてほしい」と思える人に出会えたからと、あらためて子どもが自分で「これからも弓道を教えてください」とお願いに行ったようでした。
かと言って水曜道場で見つけた先生だけにしか教わらないというつもりもなく、部活の外部顧問の先生にもいろいろ聞いたりしているし、そこをないがしろにする気も全くなかったようです。外部指導の先生もいろいろ分かった上できちんと教えてくれてもいましたし、常に気にかけてもくれていました。ありがたいことに、それは卒業した今も変わらずです。
贅沢にも学校内外にいろんな「師」を見つけてこれたのは、水曜道場の基礎があったからだと思っています。うちは本当に上手く活用できたと、勝手に思っています。
だからこそ、「所属」の枠を超えていろんな世界を見るということが、特に中高生にとっては大きな意味を持つのではないかと思えるのです。送迎の親の負担もそれなりにありますが、目に見えない部分で子どもが成長していたり、子どもが充実感を感じていたりするのは、もうホントに「プライスレス」です。お金を積んでも経験や感情は買えません。チャンスがあるならとりあえず一回乗ってみよう、それから撤退しても問題ない。そんな精神で今も動いています。
チャンスをくれた水曜道場には感謝しかありません。
しきたりや慣習的なこと、何も知らなかったことでプラスもマイナスもありましたが、それはまた別の機会に話すことにします。
相変わらず長くてすみません(>_<)
2回目にしてとっても長くなりました。
自分では気付かなくても、いつの間にか「上」にいることって多いもんです。
例えば年齢。それまでペーペーだったはずが自然に任せていれば年上になる。年功序列の日本で、それはいつの間にか「力」になっていたりするんですね。
何の気なしに言った冗談が「パワハラ」になってしまうことも。特に威厳のある空気を醸し出している御仁だと下からはかなり言いづらいので、何も言えないままストレスを溜めることになったり。でも「上」の方はそれを「従順」または「容認」だと捉えていたり。いえいえ、違います。言わないんじゃないんです、言えないんです。
ついでにもうひとつ、セクハラも同じですね。弓道はやはり独特で、言葉だけで教えるのが難しい場面も非常に多い。骨や筋肉に言及するので「このラインを意識して!」という場合、肩甲骨や肘の動きなど、ポイントで接触する方が伝えやすいこともあります。ただ、この時、最小限で済むはずの接触が過剰な場合もごくたまに見かけます。が、初心者や学生の場合違和感を感じても言えないことが多いです。そんなもんかなと思ってしまうこともあります。女の子だけでなく男の子に対しても同じことが言えるので、最近の講師の先生などはわざわざ保護者に「少し肩とか触っても大丈夫でしょうか」と許可を得る方も多くなりました。「え!!そんな、わざわざ言っていただかなくても!」と恐縮していたのですが、「今はそういう時代」だということのようです。何の気なしでも密かに傷付いてる子もやはりあちこちにいるようですし、全てに於いて「黙っている=YES」ではないということを、自戒の念を込めて書いてみました。
それから。
下が上に遠慮するような空気を嫌う御仁の場合はわざとふざけたりもしていますが、実はそれでいてしっかり観察し、下の者の雰囲気に目を凝らし、変化を読もうとしてたり・・もよく見ていると分かりますね。アホそうにしている人ほど実はむちゃくちゃ賢くて機転が利く・・という経験をたくさんしたので、個人的には奥が深い人だと思っています。
ただね、やっぱ「上」の人なんですよ。そこに技術や役職や段階数字なんかがはっきり出る場合、「すごい人」「偉い人」って思ってしまう・・いや、スゴイ人なんです、偉い人なんです。軽いジョークに「どこまで笑っていいんだろう・・・」と悩む生徒もいたりすることを、お偉い先生は知っておいてください(^_^;) つまり、ふざけるのもほどほどに・・ってことかな???(個人的には楽しい(´∀`))
それから、何より意識してほしいのは、「上」の人の言葉や態度・言動は、想像以上に下の者にとって影響力があるということです。
例えば、教室内で先生がA君を軽くいじれば「A君はいじってもいい存在」という”公に認められた認識”が生まれてしまいます。そこからいじめに繋がることもあります。先生がメンドクサそうに”スルー”していれば「無視してもいい存在」という認識になり、全体からハブかれていくわけです。そんな「上」の振る舞いは真面目な子の場合 潜在意識に訴える力も大きく、無意識のイジメが始まっていたりします。無意識の誘導になっているんです。
学生のうちは「仲間」で切磋琢磨しながらもいろんな人がいてそれをお互いに尊重していこうという意識を育む時期なのですから、「上」が下の者達を分け隔てするような言動(またはそう見える態度)はやめてほしいと心から願います。
上記、いじめに特化して書きましたが、弓道に対する姿勢とか人への評価とか諸々・・。「上」の言動はそれだけで「下」にとっては「お墨付き」になりがちだってこと、意識してほしいと思います。
偉そうに書きましたが、私もアラフィフ年代。醜い真似の代表になるような大人にはなるまい・・と戒めています。心掛けています。それでも失敗はしょっちゅうですが・・(>_<)
今、周りにいてくださっている気配りや配慮や先回りの出来る人格の高い先生達に倣っていきたいと親子共々思うのです。あれ、ちょっと言いすぎた?(笑)
うん、環境には恵まれているなぁ~と感謝する日々。ありがとうございます。
言葉というのは難しい。
つくづく思います。
できるだけ簡素化を・・と思いながら いざ書いてみると語弊や誤解の多いこと多いこと。それらを出来るだけなくすために言葉を尽くせば今度は「長い」と言われる。これ、いつものことなんです(^_^;)
そこで思い出しました。何のためにここを始めたか。
あの頃自分達が聞きたかったこと。
知りたいのにどこに行っても思うような情報に辿り着かなかったこと。
今では常識と分かることもあの頃は誰も教えてくれなかったこと。
そして、正しいと信じていたことが間違っていたこと。
技術も知識も常識も、子ども達だけでは限界があること。
新しく入って来るビギナーやチャレンジャーにとって、「そこ」はアウェイであること。
何を誰に聞けば良いのか。
間違った時にきちんと指摘してほしいこと。
上を目指したい時、上段者に道標となってほしかったこと。
時間をかけてやっとホームグラウンドにできたような気がした時、次のビギナーやチャレンジャーのために道を開けてor見せてあげたいと思うようになりました。後から来る人達に聞かれることはいつも同じようなことばかりだったからです。
だから、ここでは言葉を尽くしたいと思います。出来るだけ間違って受け取られないように。
とっくに知ってるような情報も載せたいと思います。いつ誰が来てもいいように。
アウェイのような気持ちで困らないように、出来るだけサポートしていきたいと思います。
ここの「中の人」も素人です。知識はありません。子ども達と仲間達と一緒に成長できればと思っています。
だから、そんな思いを込めて、「BEGINNER(初心者)」をいただきました。
そんな「弓道びぎなー」をよろしくお願いいたします。